退屈な窓辺

陰キャ大学生が成長を目指す様子を綴ったブログです

やさしさ

優しいってどういうことだろう。中学生ぐらいから、この問いは何となく、頭の片隅に存在し続けている。今でも、明確な答えは出ていない。優しいというのは、簡単に言えば、人に親切にすることだろう。それはいい。この問いを考えるうえで、自分にとって重要なのは、その親切が、優しいと思われたい、周りに褒められたい、何か見返りが欲しいといった、私利が目的の場合でも、優しいというのだろうかということだ。何故、これが重要なのか。自分の親切は程度の差はあれ、ほとんどこれが理由だからだ。と考えていくと、なんだか自分の行動が偽善に思えて、虚無感に襲われる。しかし、これを考えるのはもう止めた。やらない詭弁より、やる偽善だ。それに最近は、こうも考えるようになってきた。相手の立場になって考える思いやりこそがやさしさではないかと。たとえ、それが上記の私利が含まれていたとしても。物事、大抵のことは、程度の問題である。感情が全くない人はいないだろう。そして、それは、誰に対して行うかによっても、大きく左右される。自分も友達に対してなら、ある程度、なんも考えずに、親切にできる。そして、この欲が一切含まれない最上のものが愛なのではないか。彼女できたことないから、わからんけど。 

相変わらず長い。

できない

自分の課題として、人の目を見て話すのができない、難しいというのがある。そのことには、かなり前から自認しており、昨年辺りから意識的に改善するようにしてきている。そのかいあり、大分改善してきてはいる、と思う。ある場合を除いては。ある場合とはかわいい女性である。  

 

言い訳する訳じゃないけどかわいいは正義だね。人間は本質的にかわいいには勝てないように、できている。何故かって?それは単純であり、途轍もなく奥深い問題だ。

以上、ファッション更新でした。

流行-特にファッションの視点から

最近、不定期にやってくる服欲しいの時期が自分に来ている。自分は、ファッションにおいて、流行というのをほとんど気にしない。別に、「流行に左右されない俺かっこいい」とかではなく(それがまったくないわけではないが、占める割合は相当低い)、その方が、ファッションを楽しめるからだ。自分なりのスタイルがあり、それに近づけるのが楽しく、そんなコーディネートを普段している。そのため、コミュ障のわりに、「お洒落だね」と言われることが多いと思う。

しかし、世の中、特に大学生は流行に乗らされすぎではないか。

3年から5年ほど前に爆発的に流行したma-1、来ている人はまだちょくちょく見かけるが、明らかに激減した。昨年から現在にかけて(もう流行は落ち着いた?)、タピオカミルクティー、米津玄師、あいみょんは現在進行形で流行中だ。私が言いたいのは、流行に乗るのが悪いということではない。私も本当に、いいと思った流行のものは取り入れてる。私が言いたいのは、本当に彼ら、彼女たちは、それにそれだけの魅力を感じているのかということだ。ma-1もお洒落なアイテムだと思う。タピオカも普通においしい。米津、あいみょんの歌も、たしかに流行るだけのことはある。しかし、こんなに、流行るほどか?本当に、全員が原宿のタピオカミルクティーに並んで、500円払うだけの価値を感じているのか?ma-1に大学生なら限られた、ライトアウターの枠を割くほどの、価値を感じてたのか?思考停止で取り合えず選んだのでは?感じてたなら、何故、今ma-1はこんなに激減した?買った人が、流行が落ち着き、冷めたからではないだろうか。

何度も、言うように、流行を乗るのが、悪いことだとは言わない。それは、それで一つの楽しみ方だ。しかし、今日本には、そういう人が多すぎないかと、寒くなってきたのにまったくma-1を見なくて(昨年はまだそれなりにいた)思った。大半の世の中のことは程度の問題である。相変わらず、考えてたことの半分も書けなかったし、予想以上に長い。

采配と批評

雑に、思ったことを書きなぐる。今、世間は日本シリーズで盛り上がって?いる。

プロ野球を継続的に見ていると、○○二軍に落とせ、○○替えるべきだっただの采配批評が散見される。特に某コメントサイトでは強い口調でそれが見られる。しかし、そのようなコメントの大半は代替選手を示さない。例えば先発投手を5回の途中で変えた場合残りのイニングをどいいう継投を行うのか示さない。批評するだけなら、幼稚園児でもできる。意見を言うなら、説得力のある意見にしなければ。

同様のことは、広く他のことにも言える。例を挙げると、A政権はダメだの。それなら、代わりにどこが、政権を担当するのか、その政権ならその問題は本当に解決するのか、納得のいく根拠を素人並みでも示すことが必要があるのではないか。

また、相手の実績、他の業務の一切を無視して、問題ある行動にだけ目を向け、企業、組織、個人を攻撃するのも関心できることではない。具体例として、NHKへの批判を挙げておく。これ以上、書くと長くなるので、この辺で・

書評 「苦しかったときの話をしようか」

今日から、書評を書いていこうと思う。一般的な書評とは、少し異質な感じになると思うが、自分なりに書いていけたら。

森岡毅さんの新しめの本。USJの本が非常に参考になる本だったので、読んでみた。

結論としては、参考になる部分は要所にあったが、全体として、これは森岡氏だからできるのではと思うところが多くあった。まぁこれはハウツー本全般に言えることだとは思うが、もう少し丁寧に背景事情、上手くいった要因について言及してほしかった。とはいえ、自分をマーケティングする方法の項は非常に参考になった。以下印象に残った箇所とそれに対する所見。

4頁 昨日と今日で全く差のない毎日を100年続けたって問題は何も解決しない

父も似たようなことを言っていった。毎日と行かなくても、1週間、初めは1カ月単位で自分をレベルアップするために必要な箇所をブラッシュアップするのが必要なのかもしれない。

32頁 成功は必ず人の強みによって生み出される

たとえ、取るに足らないような成功であっても、そこから、個人の強みを生み出すことができる。

39頁 Aiには過去の延長線上にない未来を創造することはできない

AIに関して、考えることはたくさんあるから今度書きたいが、AIは誰にでもできる単純作業においては、天才であるが、思考力については偏差値20レベル。

88頁 そもそも情報とは、人の知性があって初めて意味を持つ。外の世界の手がかりを(データや事実)自分で集めて、自分の知性を駆使して、統合、推理することで生み出す付加価値が情報だ

なるほど。よく言ったものだ。今日、インターネットが普及し、大抵のことを検索すればわかってしまう時代だから、このような現象が起こっているのか。だから、識者の人々はしきりにソースを確認するのか。確認したうえで、自分なりに思考するのか。インターネットの書いてあることは情報とは言わないのか。

214頁 人が最も苦しいのは、自己評価が極端に低くなっているとき、自分自身で自分の存在価値を疑う状況に追い込まれたとき

この本で最も感銘を受けた一節。たしかに、今までの人生を思い返しても、上記のような状況のときが一番辛かった。このような状況になったとき、踏ん張り所だと考えられる視野、またそのような状況にいる人に手を指し伸ばせる人間になりたい。

232頁 組織では、意思決定者へ正しい情報を提供する回路が破綻しているせいで、驚くような平易な間違いがしばしば起こる。

2を累乗していけばとてつもない数になるということか。

280頁 凹に対して強みを持つ相手の特徴は、君の凸を喜んでくれる場合が多い。

どんな人間にも欠点はある。なぜならば、馬鹿と天才が紙一重であるように、長所と短所は相反するものであり、表裏一体なのだ。あることに、対して優な人間はその逆のことに劣である。であれば、あなたが、優ならば、劣の人と組めば、双方、優の効果を享受できる。プロの組織とはそのような組み合わせで成り立つのである。しかし、注意すべきなのは、なんでもかんでも人に頼ればいいという訳ではない。あくまで、相反するものに限っての話である。

すべて、ダイヤモンド社の書籍から引用。

以上、思ったより長くなってしまった。次回以降はもっと、短く終わらせたい。

あれから

久々すぎる更新。おそらく、このブログを見ている人は一人もいないだろうし、これからは自分のメモ、ストレス発散、自己満足、好きなことの語りについて書いていこう。ブログスタートしたときは、あわよくば稼ぎたいなんて思ったのだけどなー(笑)

とはいえ、一応世界中の人がアクセスできるわけだし、人名や、個人が特定される情報には気を付けよう!

さて、本題。今日半年ぶりにブログを書くわけだけど、自分探し結論をふとしたことから、読み返した。半年前の自分はこんなことを考えていたのかと本当に驚いたし、少し期するものもあった。同時に少し懐かしくもあり、以外とよく考えてただなとも思った。まぁ今日はその振り返りをしようかなと。

まず第一の印象として、この時に比べれば、前向きになったのではと思った。いや、根本的に変わったわけではないと思う。相も変わらず、女友達もいないし、友達もほとんど増えてないし、土日も暇しているから、生活スタイルはほとんど変わってない。でも絶対に日常的な心持ちが変わっている。特に目に見えた、変化があったわけでもないのに、気分よくいられるようになったのは、今日久々に見るまで忘れかけてたけど、この時の決意というほど大層なものでもない、考えが無意識的にも意識されてたのかなと(日本語大丈夫か?)個人的には思う。でもこれは、大きな進歩だと思う。気分が鬱になることは時々あるけど、あの頃みたいな継続的で閉塞な鬱じゃなく、一時的で回復するようになった。少しづつではあるが、明るいというか、悲壮感ある、気難しい雰囲気は薄れきたのではと思う。今後も頑張れ!調子には乗るなよ!

各項目見ると、マシになったのは多いんじゃないかなと。完全に良くなったというのは見当たらないし、一向に改善されていないのもあるのは、問題だけど、継続は力なり!まだまだ、道は長いけど、まずは日々、その日できそうなことからやろう!

大学で友人と再会したのも大きいと思う。人との繋がりはやっぱり大事だなと。

まだまだ、飲み会とかは大きな課題かなと。

総評 及第点では!第一にが長すぎて、振り返りというか場当たり的な感想にしか見えないけど、よし!

自己紹介

はじめまして、チハヤと申します。先ずは、簡単に私の説明書を。

この春から、都内の私立大学(文系)で、大学2年となります。私は大学生一般で言うところの、”陰キャ”と呼ばれるタイプの人種で、友人は片手に数えるほど、恋人はおろか、女友達さえ出来る気配が全くないような、対人関係スキルに致命的な欠陥を持っているであろう人間です。

趣味は野球観戦(贔屓は広島、オリックス)、読書、アニメや漫画鑑賞。お気づきの人もいらっしゃるかもしれませんが、ブログ名は氷菓というアニメのop"優しさの理由”の冒頭から採っています。あと、最近はモチベが落ちましたがポケモンのシングルレートはかなり力を入れてました(最高レート2097 シングル)今でも、実況動画は見てますし、新作が出たらまたやろうと思っています。

バイトは、塾講師で週2回入っています。あまり稼げませんが(陰キャは金使わないので問題ない)それなりにやりがいがあり、春休み中では、家族以外での唯一の人との繋がりなので大事にしたいです。サークルは入りましたが、秋から顔を出していません。

まぁ、長い自己語りはこのくらいにして、何故こんな陰キャがブログを始めたのか。

簡単に言うと、”変わりたい”、”人間として成長したい”と思ったからです。友達のいない大学生の長期休暇は果てしなく暇、そして孤独。このまま、一生こんな人生なのかと思うと恐ろしい不安に苛まれ、変わるしかないと考えるようになりました。

そこで、上述の対人関係スキルです。これは、陰キャあるあるだと思いますが、私はどんな人でも1対1なら基本的な話程度なら問題ないのですが、それ以上の関係が構築できません。これは、数少ない友人たちにもそうで、彼らともそこまで深い関係を築けないのです。また、飲み会などのように、”集団”になるとお手上げ。要するに、私は対人関係スキル、集団生活適応レベルの偏差値が30ほどなんでしょう。

でも、だからと言って、私は今の自分を180°変えて自分を押し殺してまで、生きていくのは気が引けるし、そんな生き方は到底不可能で疲れるだけだと思います。

性格を根本的に変えるのは非常に難しいでしょう。なら、考え方を変えて、できることを少しづつやって、人間として成長していけば、いつの日か自分を受け入れてくれるような、友人、恋人に出逢える、そう考えるようになりました。

すぐには、効果は出来ないでしょうし、他者依存な考え方ですが、友人や恋人は作ろうと思って作るものではないと思います。気づいたら、笑ってる、気づいたら、恋してる、そんなものなんじゃないかなと思います。1か月ほど前は友達 作り方 彼女 作り方なんて検索してましたが、そういうのはもう止めました。迷うのは、止めました。

こんな、ある意味再スタートした、私の様子を綴っていくのが本ブログの主な内容です。このように、文章を書くのは初めてのことなので、拙い文章になる(この文章も既に自分でもよくわからなくなっている(笑))こともあるかと思いますが温かく見守って頂けたら幸いです。

また、他にも自分の趣味である、野球、読書なども発信していきたいと思ってますので、そちらもよろしくお願いいたします。