退屈な窓辺

陰キャ大学生が成長を目指す様子を綴ったブログです

オリックスバファローズの優勝に寄せて

2014年10月2日、私はまだ広島カープ一筋の純粋2014年10月2日、私はまだ広島カープ一筋の純粋な中学生だった。その日、受験生らしく21時半過ぎに帰宅し、何となくテレビを点けると後に10.2決戦と呼ばれる頂上決戦が行なわれていた。繰り返すが、当時の私は広島東洋一筋(ななら中学生は人生で一番野球熱が低かった時期なので広島もあまり追えていなかった)そのため、この試合が優勝を決める大一番だということをテレビを点けてから知った。試合は延長戦に突入しており、オリックスが二死満塁の大チャンスであった。しかし、ペーニャがあっさり初球を打ち上げショートファウルフライという最悪の形でチャンスを逸した。その裏、比嘉幹貴が一死満塁の場面で松田に左中間を破るサヨナラタイムリーを浴び、熱戦は幕を閉じた。

書評 『D・カーネギー 人を動かす』

人を動かす三原則

頁31 人を批判しない

人は自分がどんなに間違っていても、心の底から自分が悪いとは思わない→自分を正当化する、反抗心を起こす、必ず自らに返ってくる。

頁48 批判せず、人をほめる

どんな人間でも、何かの点で私より優れている。

人を動かす秘訣は自ら働きたくなる気持ちを起こさせること←承認欲求を掻き立てる。

人間には使いこなせず宝の持ち腐れになっている能力が必ずある。

批判によって人間の能力はしぼみ、ほめ言葉によって開花する。

頁72 相手の立場になり、どうすればそうしたくなる欲求を相手に起こせるかを考える

これは承認欲求とはまた違う。その行動のメリットを相手に訴求する

採用面接では自分が会社にとってどう役立つのか伝える(私を採用するメリット)

 

 

人に好かれる六原則

頁88 相手に関心を寄せる

人間は他人のことに関心を持たない。ひたすら自分のことに関心を持っている

人は結局、自分をほめてくれる人を好む

名前を覚える→人は自分の名前に特別な愛着を持っている

相手に質問をする→相手が喜んで答える質問(話したいこと)

自分のことだけ話さず、聞き手に回る

相手に敬意を示す→丁寧な思いやり 育ちの良さを証明し、周りにも好印象

 

人を説得する十二原則

頁160 議論を避ける

議論に本当の意味で勝つのは不可能→負けた方は反抗心を抱く。そのうえ、たとえ議論に負けてもその人の意見は変わらない。そもそも議論というのは「お前は間違っている」と相手を批判しているようなものである

議論に勝利しても、相手の好意は得られず、その人との関係性は悪化する。

では、どうするか?

腹を立てない まず、相手の言葉に最後まで耳を傾ける→意見が一致する点を探す

頁176 誤りを指摘しない

人は自ら自分の非を認めることができても、他人からそれを指摘されると、なかなかできないものである。

間違いを指摘するにしても、即座にそれを全否定するのではなく、「私はこう思うのではどうでしょうか?」と最終決定権を相手に授ける

頁185 誤りを認める 

他人から間違いを指摘されて、それを認めるのは難しいものである。であれば、間違いに気づいた時点で自分の誤りを認めてしまう。

誤りを認められてしまうと、指摘したほうも尻すぼみになり好意的な対応、サポートをしてくれる。反対に言い訳などしようものなら、相手も全力で攻撃してくるだろう。

自己の過失を潔く認めるのは、その人の値打ちをも引き上げる

頁198 穏やかに話す

相手が怒っている時には、どんなに合理的に話しても説得は不可能→優しく打ち解けた態度こそが相手の心を変えることができる。

 

頁222 命令するのではなく思いつかせる

押し付けられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうがやる気になる。

質問形などにすると、相手に思いつかさせやすい。

 

人を変える九原則

頁272 遠まわしに注意を与える

やむを得ず、人を注意しなくてはならない場合ストレートに言うのではなく遠まわしに注意することが重要である。

また、自分の失敗を話してから注意する方法も有効である。

注意する時は以下のことを肝に銘じておく必要がある。

相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪に陥らせる権利など私にはない。大切なのは相手がどう自分自身を評価するかであり、私が相手を評価するかではない。

相手の人間としての尊厳を傷つけることは犯罪である。

頁301 期待をかける

良い評判を立ててやると、人はその評判に応えようとするものである。

短所を改善させたい時はその部分を何らかの形で評価すると良い。

人を変えたい時は以下のことを考えるとよいだろう。

誠実であれ

相手にしてほしことは何なのか明確にする

相手の立場になる。相手の望み(相手にとっての利益)を考える

それをどうすれば、与えられるか考える→物事を依頼する時に相手の利益を相手に把握させる

 

この本に書かれていることはおそらく正論であろう。しかし、この本の原則が全てに通用するわけではないし人間だから上手く原則を活用できないこともあるだろう。また、全てを実行しようと思えばなかなか困難である。だが、難しく考える必要はない。この本の言いたいことのほとんどは最初の3つの原則に帰着する。だから、まずは最初の3つを徹底的に意識しよう。気づけば、他の原則も徐々にモノにできているだろう。

 

 

 

勇気

大学4年の秋、マッチングアプリというものを始めた。目的はもちろん、恋人を作ることだ。いや、より正確に言えば恋人とSEXすることだ。流石にこの歳になると、SEXしたくてしょうがなかった。恋人と一緒に素敵な思い出を作りたいという思いもあったが、主なる目的はSEXすることだ。マッチングアプリというもののは思いのほか、面白かった。それについては、機械があれば記事にしたい。

アプリを始めた時に決意したことがある。それは「3月までに彼女ができなければ、風俗に行こう」である。俺はSEXしたくてしょうがなかった。だから女性と接する時も、常に無意識的にSEXが頭をよぎり、上手く恋愛ができなかった。このままでは、いつまで経っても前に進めないと思い、風俗に行くという誓いをたてた。だが結局彼女はできなかったが、風俗にも行かなかった。その理由は勇気がでなかったからというのも大きな理由だが、当時リアルである女の子に出会った。その子に出会ってから、毎日がワクワクするようになった。アニメの台詞っぽく言うなら毎日がカラフルになったってやつだろうか?。恋をするっていうのは、多分こういうことを言うのだろう。彼女と初めてデートした日以来、彼女のことを考えなかった日はない。そんな風に過ごしていたら、風俗に行こうという気持ちにはならなかった。ちなみに補足しておくと、その子とSEXしたいという気持ちは今のところあまりない。

そして、この間3回目のデートに行ってきた。この日、俺は彼女に思いを伝えるつもりだった。だが、結局それはできなかった。勇気が出なかったから?それも間違いでもないが、その理由を勇気という言葉だけで完結することはできない。

俺は結局色々理由をつけて逃げているだけなのでは?多分、そうだろう。

だが、上手く言葉にできないがあの日告白するのは、おそらく悪手だった。あー、やっぱり逃げているのかな。わからない。勇気が出なかったのは否定できないが、あの日それ以外に告白のために、俺にとって必要な何かが欠けていた。それをこの3カ月で構築して、次の打席では必ず決めなければならない。いや、構築できなくても打ち返さなくてはならない。それが勇気のない自分と決別するための壁だから。

次が最終打席だ。ここで告白しなければ、一生後悔する。

大丈夫。俺は勝負強い。

最後にこの言葉で締めくくる。

弱気は最大の敵

 

塾講師アルバイトを辞めた話

一昨日、冬期講習を最後に2年半程続けた塾講師のアルバイトを辞めた。振り返ってみると、思い通りいかないことばかりだった。大きな成果を出せたこともほとんどない。しかし、それでも自分がここまでの大学生活で最もエネルギーを捧げたのはこのアルバイトだと思う。だから、最後スタッフに挨拶している時は思わず感極まってしまいそうになった。ここでは、これまでの振り返りとなぜ辞めることにしたのかをまとめたい。

まず、このアルバイトを始めたのは、自分自身が塾に入ったことで、大きく成績を上げることができたこと、それによって自分に自信を持てるようになったこと、そんな体験を自分の受け持った生徒に味わってほしいと思ったこと。それと高校の頃から漠然と塾のバイトってかっこいいというイメージがあったことの二つが大きな理由だった。中学生の頃の自分は、自己肯定感がともかく低かった。運動の苦手なだけで存在価値が大きく下がる気がしていたのだ。そんな時、塾に入り成績が上がり多少自信を持てるようになった。当時感じたのが、運動はセンスによるものが大きいけど、勉強は努力次第である程度なんとかなるということだ。こんな思いのもと、大学1年の4月何気なく申し込んだのが今のバイト先だった。塾講師は結構倍率が高いと聞いていたので、あっさりと採用され少し拍子抜けだった。採用は早かったが働き始めたのは7月からだった。

働き始めて少し経つと、自分の考えは幻想であることに気づく。それは、残酷な話だが世の中どうしたって勉強のできない人がいるんだなと。始めた当初、担当生徒の成績が大きく下がった。これ自体はショックだったが、自分の指導力不足と考えればまだ納得がいった。問題は元々30点ぐらいの生徒だ。こういった生徒に自分は全力で教えたつもりだった。しかし、成績は上がらず低空飛行を続けた。ようやく理解したと思った次の週には忘れてる。人間得意不得意があるんだなと学んだ。また、これとは逆に授業中にはかなりよく理解できているのに、テストになるとあまり点が伸びない生徒が結構いた。この手の生徒は最後まで悩まされた。しかし、一方で何かのきっかけが掴めれば大きく成績を上げることのできる生徒だと思った。また、個別指導に来ている生徒に感じたことは、主体性のなさである。彼らは席についても、こちらが声をかけるまで教材を出さない。これが一人や二人でないのだから驚きである。さらに、問題を解き終わっても、自分から声をかけない。こちらが気づくのを待つのである。また、問題に間違えたとしても、自分で理由を考える生徒もいない。丸着けが終わったらただ、ぼーと待っているだけである。理解する必要はないと思う。でも、まず自分で理解しようとしてみたら。そうして、講師が手が空いたら解説する。講師の説明を聞いて大抵の場合はわかったようになるのだが、次も同じ間違いをする。わかることと、できることは全く違うことだからだろう。わかるをできるに昇華させるために、理解できるか否かは置いといてまず自分で考えてみる必要があると思う。そういった過程が血肉となり学力となるのではないか。一方、できる生徒というのはこういったことができていた。自分は上に挙げたようなことは勉強をするうえで、当たり前のことだと考えていた。いや、正確に言えば考える以前に無意識的に行っていた。しかし、それが当たり前でないことを知った。逆に言えばこういったことをやれば、大抵の生徒の成績は上がるのではないか。まぁこちらが言ってもやらないのだが。ただ、前述の通りどうやっても無理な生徒がいるのも事実だが。

さて、振り返りはこのぐらいにして、なぜ自分が塾講師を辞めたのかについて触れておこう。一言で言えば、自分の指導力のなさだ。ここまで、散々生徒をdisってきたが結局はこれである。より正確に言えば、同期との指導力の差である。自分の同期は幸か不幸か優秀?な人が多かった。そういった人たちはバイトリーダー的立ち位置に出世していった。これは、結構辛いことだ。ただ勘違いしないで欲しいのは彼らを嫌悪したわけではない。彼らは基本的にそのポジションに相応しい結果を出していたし、自分のことや他の人を見下したりはしない本当にいい人だった。しかし、自分にはこれが耐え難っ難し、同時に自分の力のなさを痛感した。そしてはっきりした。自分はこの仕事には向いていないと。2年程経ってである。しかし、だからと言って自分を卑下はしていない。先にも述べたように、人間は得意不得意がある。自分には、少なくとも個別指導塾の指導には向いていない。ただ、それだけである。2年程続けていることからわかるように自分はこのバイトが嫌いではなかった。イラつくこともあったが基本的に教えることは楽しいことだった。成績を上げることはできた時は勿論嬉しかったし、ずっと担当した生徒にはそれなりに愛着もあった。だが、客観的に考えて向いていなかった。本当はもっと前から気づいていた。だから、この一年程はそれなりに工夫もした。しかし、それでも結果は伴わなかった。そうして、辞めることを決めた。

他に理由はいくつかあるが、突き詰めれば上の指導力のなさに帰着する。アルバイト先は、座る位置である程度ランク付けされているのだが、自分はなぜだがずっと新人と同ランクだった。向いていないとは思っていたが、流石に新人と同じということはないだろうと感じていた。

なんだか話が暗くなってしまったが、このバイトをここまで続けたことに後悔はない。向いていないからこそ学べたことや工夫できたことがあるし、色々な気づきがあったいい経験だった。先に述べたようにこのバイトが自分が大学時代一番エネルギーを捧げたことであることには変わりはない。だから、就活で学生時代力を入れたこととして自信を持って語ろうと思っている。自分だからこそ、語れることがあると信じて。

iphone

iphpneの値段は年々上昇し、最近は10万円を超えるものも少ない。これを高いと思うかは人によるだろう。だから、他人がわざわざ口を出すことでもないとは思うが、言わずにはいられない。中学生にiphone11いる?

スマホはもはや現代社会の必須アイテムであり、それを小学校低学年、あるいは用珍事がそれを持つことを否定するつもりは毛頭ない。だが、高価なiphone11である必要があるか?中学生がスマホで行うようなことのほとんどはiphone8で十分完結するように思える。これは、何も中学生に限った話ではない。世の中のiphone11を持っている人。そのうちいったいどのくらいの人がiphpne11でしかできないことをやっているのか、本当に気になる。とりあえず最新版だから、という思考停止が多すぎるように思える。もっとも、冒頭にも書いたが誰が何を買おうと私には何の問題もないのだから、口を挟むだけ無粋なことだが。

書評 「武器になる哲学」

イノベーションを起こそうと思って仕事をしていては、イノベーションは生まれない。

具体的な解決したい課題があり、その解決えお目指して結果的にイノベーションが生まれる。

論理だけでは人は動かない。論理、倫理、情熱この3つが人を動かす。

倫理に反することは、今の僕の行動範囲ではあまり起きそうにないので、さしずめ情熱が重要か。

自分が何かを欲している時、それが素の自分によるものなのか、他者により引き起こされたものなのか見極めることが大事。

人間は不確実なモノにハマりやすい。

とんでもない大事件は概して平凡なとこから生まれる。そして、その平凡は考えることを放棄しており、後になり自分の犯した罪に気づく。

人は集団になると自分では責任は負う必要はないと考え、自制心、良心は働きにくくなる。→いじめはその典型か 東芝の事件

予告された報酬は人間の創造力を下げる。創造性が刺激されるのは、挑戦が許される雰囲気であり、失敗してもノーダメージだと思える風土である。

何か新しいことを始めるときは、同時に何かを終わらせることであり、終わったことにこそ注意すべきである。それとは違うベクトルで物事を考えなければならない。

ルールやシステムで人をコントロールしようとすれば、大なり小なりそれに振り回される。

格差とは、同質性から生まれる。異質であれば比較することすら、ないからだ。その意味で究極的に公正な社会というのは格差まみれの社会であることを意味している。

究極の知とは、知っていることすら自覚していない状態だ。知っていることを自覚しているようでは、まだまだであり、そのことを誇示するなどもってのほかである。

物事を理解するとき、4つのイドアに歪められてないか確認する必要がある。これらがある状況では、まともな思考はできない。

相反する二つの事象を統合的に考えることで、進化が生まれる。進化のイメージが過去のものが現在のものと合わせて復活するイメージ。

未来を予測する最善の方法はそれを発明することだ。予測など当てにならない。

書評 具体 抽象トレーニング

抽象 具体 違い

自由度の大きさ

抽象は自由度が大きい→色々な解釈ができる(伝えたいことが伝わらないこともしばし)具体は自由度が小さい→多くの人が同じような考え、事象を共有できる    

この性質により抽象は一度に多くのことを表現できる、すなわち時短に繋がる。しかし、抽象は一度に多くのことを表現できると言えば聞こえはいいが、要は説明不足である。したがって、抽象的であればあるほど、理解できる人は減っていく。一方、具体的であればあるほど理解できる人は増えるが、説明は長くなる。

抽象的な考え方は、自由度が大きいため、自分なりの解釈で他の事例に応用できる。正に一を聞いて十を知るだ。これが抽象化の最大のメリットと言えるだろう。一方具具体的な考え方は、良くも悪くも自由度が小さいため、理解しやすいが、この時はこうみたいに考えを広げることができず、その場限りの考えになり後に残りにくい。そこで、具体的な考えや経験に遭遇した際に後にも出で来る抽象化をしてその経験を自身の血肉にしていくことが求められる。

また、抽象はわかるけど、具体はわからないという人はまずいない。一方、具体わかるけど、抽象はわからないという人はたくさんいる。

 

抽象化とは

抽象化とは、重要なことだけを切り出して、一言で説明することである。言ってしまえば、共通点を探すことである。重要なことを切り出すということは、他の部分を除くことである。他の部分を除くこととにより、本来伝わるはずだったことが、伝わらなくなることがあるのが抽象化の弱点である。こうして、重要なことだけを切り取ると、一見似てもつかないような事例が実は同じようなものであることがある。この時、抽象化が威力を発揮する。例えば、Aという事例とBという事例が抽象化してみると、似ているとわかったとする。であれば、Aの事例での解決策がBの事例でも使えるということであり、正しい判断を下せる。このように、何か、具体的な課題がある時、それを一旦抽象化(一言で要点を抜き出す)そうしたら、自身の記憶を振り返りそれと共通する経験はないか振り返る。あった場合その時の解決策を今回も実行すればよい。目の前のことしか考えられない人には思いつかないような解決策を示せる。これが、具体→抽象→具体の威力である。

しかし、抽象化は重要なことだけを切り出すことであるが、人によぅて何が重要なのかは異なってくる。人との対話の時は、相手の反応を見て、お互いの認識が合っているかを確認する必要がある。

具体化とは、数字や固有名詞を使い、多くの人が理解できるようにすることである。具体化の目指すところはグループで同じ考えを共有し、行動に逃げ道を作らないようにすることである。具体化は目標を立てる時に威力を発揮する。例えば、新年の目標を立てる際に、英語を頑張るというような目標を立てたとする。頑張るというのは人によってラインが変わるもの=自由度が高いものであり、この目標は抽象的である。したがって、一年が終わって振り返りをした際、いったい自分は頑張ったと言えるのか自分ですらわからなくなり、目標が達成できたのか不明である。なので、実際は大して頑張ってなくても、頑張ったことにして、逃げることが可能である。まして他人であればなおさらである。したがって、目標は具体的であるほどいい。この例で言えば英語の偏差値を7上げるのように、数字などを使って、誰にでもわかるようにするべきである。

ここから、抽象的な目標は当てにならないことがわかる。今後、企業や、政治家が抽象的な目標を掲げている場合、信用しない方がいいだろう。

問題解決における具体と抽象

問題発見が川上側であり、抽象であり、問題解決が川下であり、具体である。

AIは定型化されたこと(具体)は得意だが、自ら課題発見することはできない。ここが人間の知能の使いどころである。

企業で言えば、問題発見をするのは、社長や上司が中心である。問題発見は抽象の範疇であり、自由度が大きい。すなわち選択肢が多く、難しいことが多い。これを行うから。社長の給料は高いのである。問題解決は具体の能力が求められる。敵はもう見えているので、あとはどうアプローチしていくのか決める必要があるからである。川上は少人数である。一人一人が独特であっても問題ない。それどころか、独特である方が望ましい。一方川下は大人数であり、その一人一人が独特であれば組織は維持できない。つまり、没個性、平均化された人材が求められる。日本はこの平均化が得意であり、この精密さにより発展してきた。しかし、先にも触れたようにAIの出現によりそのような人材は職が奪われていく。

注意点

抽象化とは重要な部分を切り取ることだと書いたが、ここに注意が必要である。この重要な部分というのは人によって都合のいい部分を切り取るように人間はできてる。例えば無駄な税金を使わないようにしようと言われて反対する人はまずいない。

これは後にこの後の話より抽象的であり、各人が自分にとっていらない税金をイメージし賛成する。

しかし、これがより具体的になり、医療費、大学の学費を税金から出さないとなれば大学生やその保護者、高齢者は反発するだろう。これは自分にとって都合の悪いからである。一方工場労働者などはあまり騒がない。自分にとって都合のいいからである。

 

理解

抽象=わかりずらい 応用が利く

具体=わかりやすい 応用が利かない

ここでのわかりづらいとは他人にとってである。つまり、自分では具体よりはわかりやすいが、理解はできている

抽象→何かを考える時、抽象レベルの考え方を加えると具体レベルだけで考えるより考える思考の幅が劇的に広がり、正解に辿り着きやすい。先の具体→抽象→具体

何かを学ぶ時、抽象化すると適用範囲が一気に広がり、考えるときの思考の幅の広がりを助ける

具体→人と話す時、抽象は自分はわかっていても相手には伝わらないことがある(むしろ伝わらないことの方が多い) 人と話す時、誤解の生まれないよう具体レベルで話し、認識の差を生まないようにする。ただし、あまりに具体的すぎると人によってはイライラする。相手の反応に応じて、具体抽象レベルを調整する必要はある。

目標を立てる時 逃げ道のある目標は達成されない

まとめ

抽象→思考

具体→会話